大阪大学基礎工学部機械工学科卒。ペンシルバニア大学ウォートン校MBA修了。1999年よりJ.P.モルガン証券に勤務、2006年に国内最大級のプライベートエクイティ・ファンドであるユニゾン・キャピタルに参画。投資案件発掘、投資実行、投資先の企業価値向上業務に従事。スシロー、エノテカ等を担当。2013年に独立、2015年インダストリアを共同創業。
日本の優良企業の海外進出と新規事業創出を協働にて行う事業創出ファーム
■新規事業創出
・ REAPRAグループにおける新規事業立ち上げノウハウを活用、ゼロベースであらゆる事業の可能性を模索し顕在化
・ 起業家人材の派遣と企業内での育成の支援
・ スタートアップ企業のノウハウ、要素技術のとりこみ
・ 先端技術(人口知能/ビッグデータ分析)の知見共有
■海外事業展開
・海外における40社以上のスタートアップ立ち上げ・投資で得た知見を活用した、戦略の立案と、オペレーションの実行
・100社以上のスタートアップネットワーク、90社以上の財閥ネットワークを活用し事業創出・拡大を支援
・3,000名を超える起業家データベースを保有
■M&A
・ 案件模索フェーズから、買収後の統合実務までを一貫してサポート
・ それらを可能とする、独自のネットワーク、データベースを保有
ミッション:”日本企業の持つ本質的価値を世界で顕在化させ社会に貢献する”
小学校に入る前、3~5歳の頃は、家族でアメリカに住んでいました。父は医学生理学の研究者で、海外大学での在外研究に伴い、家族で渡米しました。私は当時まだ幼かったこともあり、日本に戻って来た時には、英語しか話せない状態になっていました。
その後、京都の私立小学校に入学したのですが、当時は小学校から私立に行く子どもはまだ少数派で、クラスメートには普通のサラリーマンの子息はあまりいませんでした。その中にあって、自分の家庭はなんて普通の家庭なんだという感覚をもって過ごしていました。
父親は研究者でしたので、生活のためというよりは、ただ自分の好きなことを追求していました。また、母親も当時にしては珍しく専門職で働いていましたので、そのことも自分の職業観に影響を与えていると感じます。また、小学生の頃はホストファミリーとして数年に渡り外国人留学生と生活を共にしていたり、両親の外国人の友人が訪ねてきたりと、国際色の豊かな家庭であったことも、自分の考え方やキャリアに影響を与えたと感じます。
中学受験をすることになり、塾に行くようになったのですが、そこで新たに友達を作って遊ぶだけで、ほとんど勉強せず成績も伸びませんでした。あきれた父親が、仕事を早く切り上げ、つきっきりとなり、3ヵ月間猛勉強させられました。その結果、みるみる成績が伸び、父の母校でもある洛星という中高一貫の進学校に入学しました。洛星は自由な校風で、友人にも恵まれ、大変充実した6年間を過ごしました。