1972年生まれ、中国・北京出身。20歳で日本に留学し、1994年に埼玉大学経済学部に入学。同大学を卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。その後、スタンフォード大学にてMBAを取得し、2004年に中国に帰国。外資系コンサル、ベンチャーキャピタルを経て、2社のベンチャーを立ち上げる。2014年に事業を売却し、日本に拠点を移す。2015年12月、日本美食株式会社を設立し、外国人観光客向け飲食予約サービスを展開中。
・メディア事業
・オンライン決済事業
日本美食では「本当に魅力ある日本のレストラン」だけを観光客の方にご紹介。
レストランの紹介から予約、オンラインでの決済まで日本美食のアプリ一つで完結できます。
日本美食は、""日本の美食""を世界に発信するためのサービスです。
ただのグルメ紹介にとどまらず、店舗の業務改善や今話題のフィンテックといった、
ITにおけるいろんな側面を持つサービスです。
旅行に行く際、レストランを探すのになくてはならないサービス、「restaurant.com」になるべく、わたしたちは『日本美食』をグローバルに展開していきます。
私は、中国・北京の大学が集中している地域で生まれ育ちました。日本で言えば文京区のような場所ですね。中国の大学というのは、敷地の中に大学の施設だけでなく、附属の小中学校、幼稚園、教員の宿舎や学生寮、スーパーや郵便局などもあり、ひとつの街になっているんです。私の祖父が清華大学の教授だったため、父は清華大学で生まれ、その後、祖父が今の北京科技大学の設立に携わり、同大学の教授になったので、私はそこで生まれ、来日するまでその中で生活していました。
私が最も尊敬し、影響を受けたのは祖父です。若い頃にモスクワ大学に留学して博士号を取り、学者として清華大学で教え、論文もすべて外国語で書く。ロシア語以外にも、英語や日本語にも堪能だった彼を、私は心から尊敬しています。常に私の頭の中には祖父の存在があり、彼が私を育ててくれたように私も今、自分の子どもを育てています。祖父がいつも言っていたのは、「知識を教えるのではなく、人格を教える」ということ。子どもからのどんなに馬鹿げた質問にでも、必ず真剣に答える。これは会社経営の中でも意識していることで、疑問に思ったことは何でも質問して欲しいと言っています。
私が「なんで夜は暗いの?」「なんで太陽は東から出て西に沈むの?」と質問をすると、祖父は「素晴らしい! この歳でこの質問をした君は天才だ」と言ってくれる。それが嬉しくて、「今日はどんな質問をしよう」と毎日考える好奇心旺盛な少年時代を過ごしました。また、当時の中国ではとても珍しいのですが、家の中や身近なところに外国人、当時の中国はロシアと仲が良かったので、常にロシア人がいる環境でした。私が最初に勉強した外国語もロシア語ですし、実はモスクワ大学に留学する予定だったんです。当時は、ロシアではなくソ連でしたが。
しかし、1989年、私が17歳の時に天安門事件が起きたことですべてが一変しました。私はまだ高校生でしたが、あの時は数ヶ月間無政府状態で学校もなく、私もあの混乱を目の当たりにしました。その上、1991年にソ連崩壊があり、予定していた留学ができなくなってしまったのです。仕方なく、中国国内の大学に進学し、英語を勉強しながらいつかアメリカに行こうかなと考えていた時、祖父の教え子に日本のある大学の講師になった人がいて、「日本に来たらどうですか?」と言ってくれたのです。それまで日本に行くという選択肢は考えたこともなく、日本語を勉強したこともなかったのですが、すぐに書店に行き、人生で初めて日本語の本を手にして、次の日にお願いしますと返事をして、その3か月後に来日しました。