東京大学経済学部卒業後、英ブリストル大学のComputer Scienceを経て、日本人初の現地新卒でドイツ銀行ロンドンに入社。投資銀行本部機関投資家営業 GCIアセット・マネジメント(ヨーロッパ大陸日本プロダクト営業統括)などに従事。2013年、株式会社Finatextを創業。投資コミュニティアプリの開発・運営)や投資関連のアルゴリズム等を提供するFinatext(フィナテキスト)と、機関投資家向けにビッグデータ解析サービスを提供するNowcast(ナウキャスト)を軸に、世界各地で事業を展開中。さらに2017年には日本にて次世代の証券プラットフォームを実現するスマートプラスも設立し、日本初の株式委託手数料ゼロを実現する証券事業も展開。
・投資アプリの開発・運営
・ビッグデータ解析事業
・証券サービスプラットフォーム事業
・東大発Fintechベンチャー
・金商業登録企業のなかで最年少社長
・日本初の株式委託手数料ゼロ実現
特徴的なところでいうと、高校は公文式が運営する公文国際学園という学校に通っていて、制服がないなど自由な校風の中で過ごしました。部活はテニス部に入り、キャプテンを務めました。目立って上手かったわけではないのですが、負けず嫌いな性格なので、試合では勝ちにこだわり、結果もついてきました。
また、大学は東京大学に進学したのですが、センター試験の模試ではいつもD判定だったものの、無事合格することができました。そういう本番に強いというか、引きがいいところは昔からあって、変動幅の大きい人生で、要所要所で勝負強くやってきた印象があります。
起業を意識するようになったのは、当時ITバブルだったこともありましたし、実は父親も起業家で、触発されて大学時代から会社みたいなものや、学生団体を作ったりもしていました。
英語がそれほど上手ではなかったので、英語を使える仕事に就きたいと思い、海外で就職しようと考えました。周りには意外とそういう考えをする人がおらず、当初はあまり理解されなかったのですが、私としては大真面目にアメリカで就職すると言っていました。大学での成績があまり良くなかったからか、当初行きたかったアメリカの大学院はすべて不合格で、イギリスの大学院に進学することになりました。
海外で就職することがいちばんの目的だったので、渡英後すぐ、大学院の授業開始前から就活を始めて、最終的にはロンドンのドイツ銀行の採用が決まり、就職を決めました。同期は50人くらいいましたが、日本人は僕ひとり。日本人が現地採用されたのも初めてでした。
最初は「My name is…」からスタートして、淡々と単語を覚えるなど、地道に積み重ねていった結果だと思います。それと、ちょうどリーマンショックが起きた直後だったこともあり、シニアが大量にリストラされて、ジュニアの採用が増えた時だったというのもあるかと思います。
当時は、ゴールドマン・サックスやマッキンゼー、経産省などに採用された東大の同期もいて、自分だけ海外に行くと言っていたので、「就活に失敗した」という見方をされてナイーブになった時期もありました。でも、私はそういった逆境をすべて自分の活力に変えるタイプ。当たり前な選択肢を選んでも自分へのリターンはあまりない。みんながいいと思わないところをひとひねり考えてやることで、さらなる超過リターンがあると考えています。蓋を開けてみれば、日本に戻ってきてみたら急にみんなの態度が変わり、「林はもともと昔から違っていた」なんて言われましたけどね(笑)。