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社長インタビュー

動画を媒介にした話題が始まる場所を作りたい

株式会社トピカ 代表取締役社長 麓 俊介

株式会社トピカ 代表取締役社長 麓 俊介

麓 俊介 (ふもと しゅんすけ)

株式会社トピカ 代表取締役社長

1989年生まれ、兵庫県出身。2009年に新卒でECサイト開発・運営会社に入社。2010年からは株式会社ポケラボにて、ゲーム開発に従事し、プログラマー、ディレクター、プロデューサーを経験。株式会社セガと協業で作った『運命のクランバトル』は年商20億円規模のヒットとなる。2016年5月株式会社トピカを設立し、代表取締役に就任。

株式会社トピカ

事業内容

■自社動画メディア運営■
FacebookやInstagramなどSNSを中心に男性向け料理動画メディアNo.1『GOHAN』を運営しています。
45万人のフォロワーに向けて日々料理動画をお届けしています。

■動画メディア運営代行『TOPICA WORKS』■
男性向け料理メディアNo1の実績と、弊社が独自開発した動画メディア特化型運営・分析ツールの導入により、動画制作から分析までワンストップで動画メディアの運営代行を行います。
詳しくは下記サービスサイトへ
https://topica-works.com/

■動画マーケティング・コンサルティング■
分散型メディア運営を通して得た知見を活かし、SNS・動画マーケティングの最新トレンドを踏まえた動画企画やSNS活用施策提案など、クライアント様のマーケティング活動の支援やアドバイス・コンサルティングを行っています。

会社の特徴

僕たちは「世の中から知らないことをなくす」という理念を体現するためにも、「話題が始まる場所」を創ります。

【私たちのバリュー】
■ユーザーファーストであれ
どのような意思決定も、ユーザーにとって本当に必要
なことなのか、ユーザーにとって不利益はないか?を心に問い決断していくべきだとトピカは考えます。誰に向かって仕事をするのか、それはユーザーです。
■自分の意見をもて
 自分の意見を持ち、自分の言葉でメンバーと、そしてユーザと対話をして事業に向かっていかなければ、より良いものを作ることはできないでしょう。トピカはやりたいことをやる。そんな自己表現が可能な会社であるべきです。
■納得してから動け。
どのような仕事も、どのような依頼も、必ず納得するまで議論し、腹落ちをし、覚悟を決めて立ち向かって
いきましょう。ユーザのために、最高のモノを創るために。"
■いったんやろう。
人間は過去の経験に基づいて行動をする生き物です。過去の経験を増やすために、いったんやりましょう。失敗したって良いんです。同じことを二度繰り返さなければいいのです。
失敗を許容し、トピカはチャンレジする人が評価される会社でありたいのです。

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  • 幼少時代の被災により強まった感受性、プログラミングに目覚めた中学時代

    幼少時代、学生時代で印象に残るエピソードはありますか?

    出身が兵庫県の宝塚市で、幼稚園の時に阪神淡路大震災を経験したことは僕にとって大きかったと思います。当時、県営住宅に住んでいたのですが、朝方まだ寝ている時にものすごい音が鳴り、寝室のタンスが倒れてきて、寝相が悪くてたまたまその時に押し入れに転がり込んでいた僕は閉じ込められてしまいました。両親がどうにか助け出してくれて外に出たところ、辺り一帯すごいことになっていて、家に戻るのは危ないということで、その日は車で一夜を過ごしました。

    ライフラインが止まって水道もガスも電気も使えない状況が続き、スーパーにみんなが殺到して長蛇の列だったことや、ガスコンロでインスタント麺を作り、家族4人で1袋を分け合って食べたシーンは今でも鮮明に覚えています。小学校の体育館での避難生活も経験したのですが、その時に自衛隊のみなさんがおにぎりと水を配給してくれて、「自衛隊はすごい!かっこいい!」と感動した兄は、現在自衛官をやっています。

    僕はまだ5歳くらいでしたが、テレビでは震災のニュースが流れている一方、チャンネルを変えれば、東京の美味しいお店を紹介していることに、「なんで僕たちだけこうなってしまったのだろう…世の中は不公平だし、寂しい辛い思いをしている人がたくさんいるということが伝わっていないんだな」と悲しくなりました。友だちが怪我をしたり、家が壊れて住めなくなって引っ越してしまったり、割れた食器でままごとをしたりしている状況を目の当たりにして、感受性が強くなったと思います。例えば、友だちが笑っている姿を見ると僕も嬉しくなるし、悲しんでいる姿を見ると僕も悲しくなる。その時を境に共感性が高くなってしまったんだと思います。

    それは大変な経験でしたね

    強烈な体験でした。その後、小学校3年生の時に、母方の実家の近くに引っ越したのですが、そこが宝塚よりもかなり田舎で、ガラリと生活が変わってしまいました。小学校では友だちができたものの、中学校では周りに馴染めず、1年生でオンラインゲームにハマったことで、ネットの世界こそが自分の生きる場所だと思ってしまったんです。

    入学当初は良かった成績もどんどん落ちていき、勉強にもついていけなくなり、学校に行かない時期も続いてしまいました。さすがに両親からも怒られ、ゲームは禁止に。どうしようかと考えた末に、学校のパソコンの先生に、当時ハマっていた「ファイナルファンタジーXI」のパソコン版のやり方を聞きに行ったんです(笑)。先生から、このグラフィックボード(パソコンのパーツ)を買えばたぶんできるということを教えてもらい、お年玉をはたいてグラフィックボードを買ったのですが、スペックが足りず、残念ながら動きませんでした。

    でも、僕はそこで初めてゲーム以外のインターネットという環境に触れ、パソコンでゲームを作ることができると気づいたのです。まずは自分でゲームを作ってみようと思い立ち、プログラミングゲームの本を買って勉強し、Yahoo!ジオシティーズというYahoo!のサービスでホームページを作り、自分の作った無料のオンラインゲームをアップしてみたところ、固定で遊びに来てくれる人から「管理人さん、いつも面白いゲームをありがとうございます」と言われ、ものすごく嬉しかったのを覚えています。

    また、ちょうど同じ頃に、IT業界で成功している方々がテレビによく出ていて、彼らはITの世界でこんなにも成功しているということを知った時に、自分もこの世界に行ってみたい、起業したい!と思いました。

    中学1年生で、すでに起業を意識されていたのですね

    はい。ITバブルを見て、僕もその世界に行ってみたいと漠然と思いました。それからはプログラミングを自分で学びつつ、高校生になってからは、簡単なインターネットビジネスも始めました。高校でも選択科目でパソコンを選択して、プログラミングの授業だけは真面目に受けていましたね(笑)。

    高校卒業後は、地元にあるIT系の専門学校に進学し、地元の企業のホームページを制作したり、問い合わせフォームを作ったり、アフェリエイトをやったりしていました。

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